2017年8月29日火曜日

観る年代で映画が変わる Part 7 (スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ)

2017年8月29日午前6時2分
軽くパンとコーヒーで朝食をすませ、妻とテレビを見ていたら、
突然、画面が変わり、北海道、東北地方、新潟県、長野県の12県に、
全国瞬時警報システム(Jアラート)が、発令された。
北朝鮮の弾道ミサイル発射に対してである。
アナウンスで、住民に避難を呼びかけていた。


が「これどうなんの
    「もしかして戦争
「日本はどうもできんのとちゃう
なんで
「日本の憲法があるからな・・・難しいで
妻「そんなの あかんわ

その後の報道で、北朝鮮が日本時間の同日午前5時58分ごろ弾道ミサイルを発射し、6時7分ごろに北海道の上空を通過、6時12分に襟裳岬の東方約1180キロの太平洋上に3つに分離して落下したことを知った。

発射からJアラートまで4分
発射から着弾まで推定9分
住民の避難時間はたったの5分

国防は最優先事項です。私たち国民は何をすべきかを真剣に考えるべきではないか。

[日韓併合]

1910/8/22
韓国併合条約が漢城(現在のソウル特別市)で寺内正毅(てらうち まさたけ)統監と李完用(り かんよう)首相により調印。
1910/8/29
韓国併合条約は裁可公布により発効、大日本帝国は大韓帝国を併合し、その領土であった朝鮮半島を領有した。

1945/8/15
大日本帝国は第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)における連合国に対する敗戦に伴って実効支配を喪失した
1945/9/2
ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国による朝鮮半島領有は終了した。
1945/9/9
朝鮮総督府が、連合国軍の一部として朝鮮半島南部の占領にあたったアメリカ軍への降伏文書に署名し、領土の占有を解除した。代わりに在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁(アメリカ軍政庁)が統治を開始した。

その後朝鮮半島は、北緯38度線を境に南部はアメリカ軍北部はソビエト連邦軍の2つの連合国軍を中心にした分離統治が続く

1948/8/15
李承晩がアメリカ軍政庁からの独立を宣言して南部に大韓民国第一共和国が建国された。
1948/9/9
北部にソビエト連邦の後押しを受けた金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国が
建国された。

1952/4/28
条約上の領有権の放棄は、サンフランシスコ平和条約発効による。

1965/6/22
日韓両国で日韓基本条約が交わされた。
1910年(明治43年)8月22日以前に両国において交わされたすべての条約、協定は
もはや無効であることが「確認」され、日韓併合は無効化された。
また、同条約において日本は巨額の資金協力無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル、いずれも1965年(昭和40年)当時額)を韓国に対して行い、それと引き換えに下記の点が確約された。

両締約国は、両締約国及びその国民(法人含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。(個別請求権の問題解決。)

しかし、事後も韓国からの「賠償要求」は発生しつづけている

英ケンブリッジ大学の国際法学者J. クロフォード教授
「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込む
ということは当時よくあったことで、韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても
「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年(大正3年) - 1918年(大正7年))以降のもので、当時としては問題になるものではない」としている

2015/12/28
日韓両政府は2015年(平成27年)12月28日の日本の岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長による外相会談後に行われた共同記者発表で、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認すると表明した。
韓国の中央日報の報道によれば、文言のうち「最終的」は日本「不可逆的」は韓国が提案したものである。
10億円の拠出については尹炳世が「金が出てこそ(日本)政府が責任を認め、謝罪したことになる」として自分が要求したと国会外交統一委員会で答弁した。

日本政府は韓国政府が設立する元慰安婦を支援するための財団(「和解・癒やし財団」)に10億円拠出することを約束し、2016年8月31日に履行した。
韓国政府は外交交渉で慰安婦問題を取り上げることができなくなった。そのため、下記にあるように韓国国民の溜飲が下がるような謝罪を日本政府から自主的に提案してくることを求めている。日本政府は追加の措置については応じる理由がないとして拒否している。

2017年5月10日に合意に批判的な共に民主党候補の文在寅が韓国大統領に当選。文は5月11日にも安倍晋三と電話会談を行ったが、その中で慰安婦合意について「国民の大多数が心情的に合意を受け入れられないのが現実」と述べた

それでは、「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」を紹介します。

スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

製作年 : 2007年
製作国 : 日本

監督:三池崇史/脚本:三池崇史/NAKA雅MURA/撮影監督:栗田豊通/
美術:佐々木尚/音楽:遠藤浩二/主題歌:北島三郎『ジャンゴ~さすらい~』

出演:伊藤英明(ガンマン)/佐藤浩市(平清盛)/伊勢谷友介(源義経)/安藤政信(与一)/堺雅人(平重盛)/小栗旬(アキラ)/田中要次(平宗盛)/石橋貴明(弁慶)/木村佳乃(静)/内田流果(平八)/香取慎吾/クエンティン・タランティーノ(ピリンゴ)/石橋蓮司(村長)/塩見三省(伝七)/松重豊(トシオ)/香川照之(保安官)/桃井かおり(ルリ子)

[プロローグ]
セピアカラー、死人の仰向けの顔、蛇が這い卵を飲み込む、
夕日に背を向けかがみ込むガンマン、突然銃が火を噴く、蛇が宙を舞う、
手で蛇を掴みナイフで腹を裂く。
数人の悪役がガンマンを取り巻く。

鐘の音、ゴ~ン祇園精舎の鐘の音
諸行無常の響き有り・・・
ナンジャそれは!!、バギュバギュ・
バギューン。
沙羅双樹の花の色・・・・

これは最高のお宝シーンです。
タランティーノ監督「ホステル」の三池崇史監督はチョイ出演でしたが、
本作は、クエンティン・タランティーノのマジ演技です。

(概要)
壇ノ浦の戦いから数百年、
平家の落人が拓いた
山あいの寒村“湯田”は、
埋蔵金の噂を聞きつけ押し寄せた
よそ者たちに荒らされ放題だった。
そして今、平清盛の平家ギャング団と
源義経率いる源氏ギャング団の
果て無き抗争の真っ只中に、
さすらいのガンマンが流れ着く。
清盛も義経も凄腕のガンマンを用心棒にしようと
画策するが、寡黙な男が目を留めたのは、
清盛への復讐心に燃え、
義経の元に身を寄せる女・静だった・・・が。




観れば観るほど面白さの出てくる作品です。
ちなみに私は4回観ました。
妻「あんた あほか




事前に、「用心棒」「Django 続荒野の用心棒」を観ておくことをお勧めします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

次回は、「ジャンゴ 繋がれざる者」を紹介します。

2017年8月25日金曜日

観る年代で映画が変わる Part 6 (続・荒野の用心棒 原題: DJANGO)

お盆も過ぎて、様々な夏の風物詩が幕を下ろそうとしている今日この頃、
だけど連日35度の猛暑日が続く大阪、「もう たまりまへんわ 😓

妻「あんた 先月の電気代 2万円超してたで ( `ー´)ノ

私・・・・ぞくぞく 寒気が 😱

それでは、「続・荒野の用心棒」を紹介します。


続・荒野の用心棒 

原題: DJANGO
製作年 : 1966年
製作国 : イタリア

監督:セルジオ・コルブッチ/脚本:フランコ・ロゼッティ/ホセ・G・マエッソ/ピエロ・ヴィヴァレッリ/撮影:アンジェロ・ノビ/音楽:ルイス・エンリケス・バカロフ

出演:フランコ・ネロ(ジャンゴ)/ロレダナ・ヌシアック(マリア)/ホセ・ボダロ(ヒューゴ・ロドリゲス将軍)/アンジェル・アルバレス(バーテンダー(ナタニエル)/エドゥアルド・ファヤルド(ジャクソン少佐)/ジーノ・ペルーチ

(あらすじ)
メキシコ国境にほど近い小さな村。

人種偏見にとらわれたアメリカ人の元南軍ジャクソン少佐(E・ファハルド)一派と、
メキシコ独立運動の闘士ユーゴ・ロドリゲス将軍(J・ボダロ)一派とが対立していた。
ある日、国境そばの底なし沼で、
混血娘マリア(L・ヌシアク)が将軍の部下と、少佐の部下に相次いでリンチを加えられようとしていた。
ちょうどその時、古ぼけた棺桶をひきずり丘の上にたたずむ男がいた。
その男は目にもとまらぬ早撃ちで
マリアを救った。
この男こそが国境一体で名が知られる
早射ちのジャンゴ(F・ネロ)だ。



ジャンゴはマリアを連れて、
ナタニエーレの酒場にやって来た。
ほどなく少佐の部下達が酒場に現れ、
けたはずれの用心棒代を
ナタニエーレに強要し、
からんできた。
その瞬間、
ジャンゴの拳銃が火を噴き、
一瞬で数人の男たちが倒れた。



翌朝、復讐の念に燃えた少佐が四十人の手下を従えて姿を現す。
おもむろに棺桶から機関銃をとりたすやいなや、ジャンゴの前には死人の山ができた。

方や将軍は革命のために機関銃を喉から手が出るほど欲しがっていた。
そんなある日、メキシコ政府軍営舎に多量の黄金があるとの情報が入る。
機関銃の資金調達に、営舎襲撃はかっこうのチャンスだった。
ジャンゴと将軍は、黄金を折半することで手を組んだ。
まんまと襲撃は成功した。だが将軍は黄金の分け前を渡さぬばかりか、強引に
ジャンゴを革命の仲間にしようとした。
怒ったジャンゴは黄金を棺に詰めこむとマリアと村から逃げだす。
ところがつり橋のところで馬車が急に傾き、棺は黄金もろとも、底なし沼に落ちた。
何とかしなければと、棺にしがみついたジャンゴは、
棺と共にそこなし沼に飲み込まれてしまいそうになった、その時、
将軍の追手が姿を現し、マリアは撃たれ、ジャンゴは捉えられてしまった。
そして二度と銃を握れぬよう、ジャンゴの両手はこなごなに叩き潰された。

そこを立ち去った将軍達は、メキシコに向う途中で少佐達の待ち伏せにあい、
皆殺しにされてしまった。

傷ついたマリアをかかえ酒場に戻ったジャンゴは、少佐達を墓場へ呼びよせた。
刻一刻と、少佐達はジャンゴに迫る。
そして、次の瞬間、倒されたのは少佐達だった。
激痛に耐えて、ピストルに細工をし、墓標でピストルを支え、
げき鉄を利用してのジャンゴの執念の闘いは終わった。


マカロニの最高峰としてニューヨーク近代美術館に永久保存されている。

三池崇史監督、タランティーノ出演「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」
オマージュを捧げた作品、それがこれだ!

 Django Django, have you always been alone  Django… Django, have you never loved again・・・・ 

恋人を失った孤独なガンマンを唄いあげるマカロニ屈指の名曲 
ルイス・エンリケス・バカロフ作曲DJANGO … が流れ、棺桶を引きずりながら、
泥だらけの荒野に現れる黒づくめの男ジャンゴ!

悪漢が銃を抜いてから撃つべし、としていたそれまでの西部劇のヒーロー像を覆し、
生きるか死ぬかの決闘には、不意撃ちも良しとする掟破りのマカロニ・ウェスタンの定義を確立した男ジャンゴ!
正統派西部劇の匂いを残していたレオーネ、イーストウッドコンビの
マカロニ作品よりも、コルブッチ、ネロコンビの本作品を
正統のマカロニ・ウェスタンとするファンも数多い。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は、「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」を紹介いたします。

2017年8月19日土曜日

観る年代で映画が変わる part 5 (椿三十郎)

鬼才クリストファー・ノーラン監督の作品「インセプション」では、夢の中の夢、
更にそのまた夢の中でのアクションシーンが展開されていましたが、
主人公(ディカプリオ)は、夢か現実かを常にを回しながら確認していました。

今回は夢の中の夢の話をしましょう。

お題は「夢の中で、本当に禁煙ができる料理を授かった男の話」

男は夢の中で禁煙料理のレシピを授りました。
起きてからスグに試してみる。
本当だ! タバコが吸えなくなっている。あんなに好きだった自分が、信じられない!

その噂は、またたく間に世間に広がっていった。
まず、マスメディアがテレビや新聞などで取り上げ、男はいっきに時の人となる。

大学の偉い先生達が何人も尋ねてきた。
製薬会社の担当者達が何人も権利を買いに来る。

男はインターネットやYouTubeで、レシピを無料公開した。
理不尽な値上げで、やめたいと思っている人達が沢山いる。
家庭料理程度で簡単に作れてしまうので、アッという間に全国規模で広まった。

たばこの売り上げは、みるみる落ち込んでいく。

財務省や厚労省の役人が、男の下へ調べに来る。
たばこ農家やJTが赤字となり、小さなたばこやさんが潰れだす。

そして、やがて国家財政の問題に発展していく。

連日ワイドショーでたばこの功罪が議論される中、JTは遂にたばこの値下げを発表する。
喫煙所が撤去され、タバコはどこでも自由に吸える様になる。

しかしもう、たばこを吸う人は誰もいない。
かつての粉末ジュースの様に、タバコは人々から忘れ去られていくのだろう。

子供手当の予算が底を打つ。国の対応は素早かった。
まず消費税をアップし、福祉を切り捨て、お酒を奨励した。
だがもう誰も、政治家や、学者や、マスメディアを信用しなくなってしまっていた。

幸か不幸か、健康な人が一気に増えたため、倒産する病院がでてくる。
そして、理屈に合わない健康保険料の値上げがささやかれだす。
製薬会社では、ワクチンの製造が危ぶまれるかも。

こんなことになるなんて!!

そこで夢が覚めた。

笑顔で、「あんた大阪でよかったな」「もう東京に行かれへんで
私「なんでや
妻「東京は全て禁煙や!」「小池さん偉いわ、私は応援するで」

を探す私・・・・・。

それでは、「椿三十郎」を紹介しましょう。

椿三十郎
製作年 : 1962年
製作国 : 日本
配給 : 東宝

監督黒澤明/原作:山本周五郎『日々平安』/脚本:菊島隆三/小国英雄/黒澤明
撮影:小泉福造/斎藤孝雄/美術:村木与四郎/音楽:佐藤勝

出演三船敏郎(椿三十郎)/仲代達矢(室戸半兵衛)/小林桂樹(見張りの侍)/加山雄三(井坂伊織)/団令子(千鳥 )/志村喬(黒藤(次席家老)/藤原釜足(竹林(国許用人)/入江たか子(睦田夫人)/清水将夫(菊井(大目付)/伊藤雄之助(睦田(城代家老)/田中邦衛 (保川邦衛)

(あらすじ)
深夜の社殿。9人の若侍が談義をしている。
首謀者の井坂は、次席家老と国許用人の汚職に関する意見書を叔父の城代家老に渡したがあっさりと破り捨てられ落胆したが、大目付の菊井はその話を真剣に聞き入れた経緯を、同志達に説明していた。
そして、その夜は、社殿で菊井と会うことになっていた。
すると、社殿の奥から一人の浪人が現れた。
若侍達の話しを聞いていたというその男は、皆が軽んじる城代家老こそ本物で、
大目付こそ黒幕ではないかと指摘する。半信半疑の若侍たちであったが、
社殿は既に、菊井の腹心である室戸半兵衛率いる兵に囲まれていた。
指摘はずぼしだった。どうにか浪人の助けで危機を脱したが、城代家老が危ない。
若侍達は男と一緒に城代家老の屋敷へと向かう。

予想通り、城代屋敷は菊井の手に落ち、城代家老睦田は連れ去られていた。
男の策で城代家老睦田の妻と娘を救い出した若侍達は、次席家老黒藤の屋敷の隣にある
若侍の一人、寺田の家に身を置いた。黒藤の屋敷は別名椿屋敷と呼ばれていた。
城代家老の夫人から名を聞かれたその男は、椿の花を眺めながら椿三十郎と名乗る。

はたして城代家老睦田を救い出せるのか、三十郎の知略と凄腕が・・・。

「用心棒」の続編的作品ですが、桑畑三十郎と比べると、椿三十郎は、より人間味があり、知略に長け、ユーモアのセンスも磨かれています。
原作は山本周五郎の『日日平安』ですが、脚本は気弱で腕もない主人公を、
腕の立つ浪人に置き換えて『椿三十郎』としています。
わずか40秒で30人を叩き斬るシーンや、ラストの仲代達矢扮する敵方の用心棒との
息を飲む一騎打ち、血が噴き出すシーンは度肝を抜かれます。


黒澤明監督は昭和29年の『七人の侍』を皮切りに時代劇にリアルさを求めています。
前年の『用心棒』、そして本作ではリアル志向がさらに強まり、立ち廻りの場面で、
刀がぶつかり肉が斬れる激しい効果音、飛び散る血飛沫が描かれています。
こういったリアルな描写は、敗戦までは日本当局によって、そして戦後はGHQによって
禁止され、検閲でカットされてきました。
黒澤明監督がこれを描いて以後、その手法を真似たチャンバラ映画が、
続出することとなりました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は、"ジャンゴ" でお馴染みの「続荒野の用心棒」を紹介します。


2017年8月14日月曜日

観る年代で映画が変わる Part 4 (用心棒)

8月15日は終戦記念日です。
政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として全国戦没者追悼式を主催しています。
ただし、第二次世界大戦が終結したとされる日については諸説があります。
 1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
 1945年8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
 1945年9月  2日:日本政府が、ポツダム宣言の降伏文書(休戦協定)に調印した日
 1952年4月28日:サンフランシスコ平和条約の発効

(終戦までの歴史的経過)
 1945年7月26日、米英中はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求
 1945年8月  6日広島市に原子爆弾が投下
 1945年8月  8日ソ連対日宣戦布告
 1945年8月  9日長崎市に原子爆弾が投下
 1945年8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告
 1945年8月14日、御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定
 1945年8月15日正午、玉音放送で国民及び陸海軍に降伏の決定が伝えられた。
 1945年8月16日、大本営は陸海軍に対して戦闘行動を停するなどの命令を下し、
         8月下旬でほぼ全ての戦闘行為が終結した。
 1945年9月 2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の
         重光葵外務大臣と大本営(陸海軍)全権の梅津美治郎参謀総長が、
         降伏文書に調印し、即日発効した。
 1951年9月  8日、サンフランシスコ平和条約が調印された。
   1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効で、国際法上、正式に日本と
         連合国との間の「戦争状態」は終結した。

連合国の中華民国(台湾)とソビエト連邦(ロシア)、連合国ではない中華人民共和国
対日戦勝記念日は、9月3日である。
2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれているが、
9月2日の翌日を独自の対日戦勝記念日と制定し、全国人民代表者会議で
「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日」と決定したのは2014年のことだ。2015年には軍事パレードを含む盛大な戦勝記念日行事を行ない、既成事実化を図っている。

8月15日はお盆でもあります。
「お盆」は、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略された名前で、
「盂蘭盆」は梵語のウランバナ(ullambana)に由来し、
「倒懸=逆さに吊るされる」という意味だそうです。

仏様のお弟子である目蓮聖人は、修行の末に法力を授かりました。
ある日、目連聖人はその法力を使って亡き母に逢いに行きました。
ところが、亡き母は餓鬼道に堕ちて倒懸の苦しみにあっているではありませんか。
大変悲しんだ目連聖人は、仏様にこのことを相談しました。
そして目連聖人は仏様の教えに従い、7月15日に沢山の僧侶達を供養することで、
七世の父祖とともに母の霊が救われました。
この話は、『仏説盂蘭盆経』に基づいています。

『日本書紀』によれば、盂蘭盆会は斉明天皇のころに始まったとされますが、
平安中期には貴族社会で年中行事となっていたそうです。
今のお盆とはだいぶ様子が違うと考えられますが、ご先祖様を供養するという、
日本人の魂は、通じ合える気がします。

妻が、TSUTAYAで借りたDVD「君の名は」を観ながらスヤスヤと眠っています。
きれいな画像と、心地よい音楽、それと多少理解しがたいストーリーに、睡眠効果が
あった様です。と、突然目を覚まし、私、この映画、理解でけへんわ・・・
私「☹」

それでは、映画「用心棒」を紹介しましょう。

用心棒
製作年 : 1961年 
製作国 : 日本 
配給 : 東宝 

監督黒澤明/脚本黒澤明/菊島隆三/撮影:宮川一夫/美術:村木与四郎/音楽:佐藤勝

出演三船敏郎(桑畑三十郎)/仲代達矢(新田の卯之助)/司葉子(女房ぬい)/山田五十鈴(清兵衛の女房おりん)/加東大介(新田の亥之吉)/河津清三郎(馬目の清兵衛)/志村喬(造酒屋徳右衛門)/太刀川寛/夏木陽介/東野英治郎(居酒屋の親爺)/藤原釜足/沢村いき雄 (番屋の半助)/渡辺篤 (棺桶屋)/西村晃/ジェリー藤尾

(あらすじ)
からっ風の馬目の宿。
そこに得体のしれない浪人がふらりとやって来た。
この宿場は二人の親分が対立し、繁盛しているのは棺桶屋ぐらいだ。
浪人はたまたま入った居酒屋の親爺からそう聞かされた。
二人の親分とは、馬目の清兵衛と、丑寅(うしとら)。
馬目の清兵衛には名主の多左衛門が肩入れし、もう一方丑寅には造酒屋の徳右衛門が
肩入れしていた。互いに用心棒、兇状特をかき集めてにらみ合っていた。
浪人はまず清兵衛のところに行き、俺を用心棒に買わんかと持ち掛ける。
まあ見ておれと、浪人は丑寅の子分を五,六人、アッという間に切り捨てた。
五十両で話を決め、前金の二十五両を浪人に渡した清兵衛は、翌日丑寅に殴り込みを
掛けることにした。
廓を営む業突張りの女房のおりんは、出入りが済んだら浪人を殺してしまいなよと、
清兵衛をけしかける。それを盗み聞きしていた浪人・・・。
殴り込みの段取りを打ち合わせていたその場で、浪人は名前をたずねられる。
浪人はふと外を見ると桑畑が広がっていた。とっさに桑畑三十郎と答える。
ところがその翌日、しかも殴り込み直前で、三十郎は清兵衛に用心棒を断った。
三十郎はそのまま居酒屋の親爺の店に居座り、用心棒代の値を吊り上げる腹だ。
そんなところへ丑寅の弟、卯之助が帰って来た。
短銃の使い手で、一筋縄ではいかない相手だ。このとき三十郎は丑寅の用心棒だった。

造り酒屋の徳右衛門は、百姓小平の女房ぬいを妾にしていた。
博奕の借金のかたに取りあげたのだった。
ぬいの幼い息子の金助が母を慕う情に絆された三十郎は、親子三人を逃がしてやった。
ところが、ぬいが三十郎に出した感謝の手紙を卯之助が見つける。
三十郎は捕えられて土蔵に放りこまれ地獄の拷問を受ける。
殺されないのは、三十郎がぬいの居場所を知っているからだった。
かろうじてそこを抜けだした三十郎だったが・・・。

この作品は、私のとても好きな映画の一つです。桑畑三十郎の後ろ姿で始まり、後ろ姿で
終わる。そして音楽が、時代劇では考えられないほど独創的で滑稽なんです。
セリフや演技では表現できない部分の、微妙な表情のアップ。手首を銜えた犬が画面を
横切る短いカットなどなど。もちろん捻りの効いたストーリーもおもしろいですが、
三船敏郎さんの骨太の演技は最高でしょう。今は亡き大スターもたくさん出ています。


ハードボイルド作家、ダシール・ハメットの(1929年)『血の収穫』を翻案し、西部劇の要素を取り込んだ、当時としてはとてもユニーク時代劇です。

巨匠セルジオ・レオーネ監督が『荒野の用心棒』として盗作(オマージュ?)、や
『ラストマン・スタンディング』としてリメイク。
ケヴィン・コスナー主演の『ボディガード』では、映画そのものを引用している。

まだ観ていない人、ぜひ観てください。お薦めです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、「用心棒」の続編(厳密には・・・?)の「椿三十郎」を紹介します。

2017年8月8日火曜日

観る年代で映画が変わる Part 3 (続・夕陽のガンマン 英題:The Good, the Bad and the Ugly)

1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍によりナガサキに、
人類史上実戦で使用される最後の原爆が投下された。
コードネームを「ファットマン(Fat Man)」、制式名称はマーク3(Mk.3)である。
ナガサキはヒロシマに投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」と異なり、
プルトニウム239を使用する原子爆弾で、その威力はヒロシマの1.5倍の威力がある。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。

極東国際軍事裁判(東京裁判)において、ラダ・ビノード・パール判事は、
「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、
ベン・ブルース・ブレイクニー弁護人は1946年5月14日の弁護側反証段階の冒頭で、
アメリカの原子爆弾投下問題をとりあげ、「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名(ポール・ティベッツ)を挙げることができる。投下を計画した参謀長(カール・スパーツ)の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」と発言した。なおこの発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった。
ブレイクニー弁護人は、1947年3月3日にも、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。

救護を目的としない被爆者の詳細な健康被害調査は原爆投下直後から日本側により開始された。この日本側調査報告書は戦後直ちに米国側に全て英訳されて渡された。これは米国の提出命令によるものではなく、自主的なものであり、戦後も日本側は米国の調査に積極的に協力していたことが、米国公文書公開によって明らかになっている。

新聞・雑誌などにおいても被爆者は「放射能をうつす存在」あるいは重い火傷の跡から「奇異の対象」などとして扱われることがあり、被爆者に対する偏見・差別は多くあった。このため少なからず被爆者は自身が被爆した事実を隠して暮らすようになっていった。今日、日本放送協会は、これを戦後のGHQによる言論統制の影響、すなわち正しく原爆に関する報道がなされなかったために、当時、放射能・放射線の知識が一般的でなかったことと相まって、誤った認識が日本国民の間に蔓延したためであったと分析・公表している。

東京地方裁判所は、1963年12月7日、被爆者は損害賠償請求権を持たないとして、日本へのアメリカ軍による原子爆弾投下は国際法に違反したものであり、また同時に大日本帝国の戦争責任を認め、引き継ぐ日本国が十分な救済策を執るべきは立法府及び内閣の責務であるとする判決を下し、確定した。以降、今日に至るまで、日本国内の被爆者関連の施策あるいは裁判において、この基本的な考え方が準用され続けている。

あれから72年の歳月が経ち、私たちは何を学び、どう変わったのでしょうか。
残念ながら、今の社会は、お昼のワイドショーで世論が作られ
政治ですら変えられかねない状況なのでは・・・。

突然 妻の声が !
「あんた!  私のメロンパン食べたやろ !!

確かに食べたのは私だ
「・・・ごめん

妻 「信じられへんわ!!」
 
「容易に信じられるんちゃう」と心でつぶやく私。

それでは、観る年代で映画が変わる Part 3 [続夕陽のガンマン」を、
紹介しましょう。

続・夕陽のガンマン/地獄の決斗


原題:Il Buono, il Brutto, il Cattivo、英題:The Good, the Bad and the Ugly
製作年 : 1967年
製作国 : イタリア

監督:セルジオ・レオーネ/脚本:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ/フリオ・スカルペッリ/セルジオ・レオーネ/撮影:トニーノ・デリ・コリ/音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:クリント・イーストウッド(ブロンディー)/リー・ヴァン・クリーフ(エンジェル・アイ)/イーライ・ウォラック(トゥーコ)/チェロ・アロンゾ/マリオ・ブレガ/ルイジ・ピスティッリ

(あらすじ)
舞台は南北戦争末期の西部。
ブロンディー(C・イーストウッド)とトゥーコ(E・ウォラック)は、コンビで賞金を稼でいた。
その手口は、まずトゥーコが人を殺し、賞金つきのお尋ね者となる。
そのトゥーコをブロンディーが捕らえて賞金を受け取る。
トゥーコが、あわや縛り首という寸前にブロンディーが救い出す、という寸法だ。
だが、この商売には限界がある。ブロンディーは一方的にトゥーコと手を切った。
それに恨みを持ったトゥーコは、ブロンディーを罠にハメ、砂漠で痛めつける。
そこへ、南軍の兵士の死体をのせた馬車が疾走して来た。
その中にかろうじてまだ息のある兵士がいてトゥーコに水を求めた。
そして、その兵士は、墓地に隠した二十万ドルのありかを知っているというのである。
トゥーコは、墓地の名前を聞くや急いで水を取って戻ると、その兵士は既に死んでいた。
そしてその傍らにブロンディーがいた。彼はその墓の名を聞いていた。
墓地の名をトゥーコが、墓石の名をブロンディーが知っている。
結局二人は手を組まざるを得なくなった。
そこで二人は南軍になりすまし、もぐり込んだ救護所は、なんと、北軍だった。
捕虜となり収容所にぶち込まれてしまう二人だったが・・・。
だがその収容所には、隠された二十万ドルを探し続けていた男がいた。
将校エンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)だ。彼は、二人にさんざん拷問を加える。
だが、ブロンディーの口は堅かった。
そこでエンジェル・アイは二人と手を組むことにした。
三人は、それぞれに相手をだしぬこうと、虎視眈々とチャンスを伺うのだが・・・。

熱狂的なファンは映画界の内にも外にも多く存在し、その影響力の大きさから本作品はカルト映画の傑作として評価されている
『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』に明確な話のつながりはない。日本で劇場公開されたときは、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と副題付きのタイトルだったが、ビデオが発売された時にこの副題は外された。1967年公開のジュリオ・ペトローニ監督作品『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(英題:Death Rides a Horse)とも関係はない。

この映画はアメリカでヒットし、セルジオ・レオーネという監督の評価を決定付けた記念碑的な作品である。劇中で戦争映画やヒューマンドラマのようなシーンも尺を大きく取られているゆえか、熱心なマカロニ・ウェスタンのファンからは批判的に捉えられることも多く、「マカロニ・ウェスタン(というジャンル内での)最高傑作」とは言いがたい部分もある。クエンティン・タランティーノはこの作品を今まで見た中で最高の映画の一つだと発言しており、ジョージ・ルーカスはトゥーコが墓場を走り回るシーンを何度も見て映画の編集のやり方を学んだという。本作は日中あるいは夜が舞台となっており、夕日は一切出てこない。

最後までお読みいただきありがとうございました。
次回は、黒澤明監督「用心棒」の紹介をいたします。

又、お会いしましょう

2017年8月6日日曜日

観る年代で映画が変わる Part 2 (夕陽のガンマン 英題:For a Few Dollars More)

1945年8月6日(昭和20年)午前8時15分、アメリカ軍による人類史上初の都市攻撃、
日本のヒロシマに核兵器(リトルボーイ)が、実戦使用された。

推定死亡者数十数万人、被爆者56万人

1949年に、広島平和記念都市建設法が公布された。
1952年8月6日に、原爆死没者慰霊碑の除幕式。
1971年4月16日に昭和天皇が初めて参拝された。
その年の8月6日に、佐藤栄作が総理大臣として初めて平和式典に出席された。
昨年2016年5月27日、アメリカ合衆国オバマ大統領が現職のアメリカ合衆国大統領として初めて広島平和記念公園を訪れ、慰霊碑に献花された

慰霊碑の前面に、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。
英文では「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」
(ここに居られるすべての御霊に平和な安らぎを、私たちはこの悪行を繰り返しませんから)

日本語の碑文には主語が無い。英文の We は、誰を指すのか、
また「繰返しませぬから」ではなく「繰り返させませぬ」ではないのか、
といった碑文論争が今日も続いている。

いまの日本は平和なんだろうか。ついこないだまでは、朝から晩まで、
お昼のワイドショーで、「盛りそば」「掛そば」問題に終始していた。
台風5号が近づいている。今年は各地で水害が多発している。
防災対策は大丈夫だろうか・・・。過ちは繰返しませぬよう

と、その時突然、妻の声が!
「あんた、今日のお昼はソーメンやで、暑いと買い物行くのいややわ」
私「・・・・・・」

それでは、観る年代で映画が変わる Part2 [夕陽のガンマン」を、
紹介しましょう。

夕陽のガンマン

原題:Per qualche dollaro in più 英題:For a Few Dollars More
製作年 : 1966年
製作国 : イタリア
監督セルジオ・レオーネ/脚本:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ/セルジオ・レオーネ/撮影:マッシモ・ダラマーノ/音楽エンニオ・モリコーネ

出演クリント・イーストウッド(モンコ)/リー・ヴァン・クリーフ(ダグラス・モーティマー大佐)/ジャン・マリア・ヴォロンテ(エル・インディオ)/クラウス・キンスキー(ワイルド)/ヨゼフ・エッガー/ローズマリー・デクスター/マーラ・クラップ/ルイジ・ピスティッリ/パノス・パパドポロス/ベニート・ステファネッリ/ロベルト・カマルディエル

(あらすじ)
凄腕の二人の賞金稼ぎが登場する。
ニヒルな無頼漢マンゴー(C・イーストウッド)と、もう一人は沈着冷静で非情の紳士
モーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)である。
二人は、共通のお尋ね物インディオ(G・M・ポロンテ)を追っていた。
インデオの賞金額は大金二万ドル。
二人は、決闘寸前で思いとどまり手を組むことにした。
インディオは牢屋を脱走し、仲間とエル・パソの銀行襲撃を計画していた。
これを知った二人は、まずマンゴーがインディオの仲間に潜入し、
モーティマー大佐を手引きをする手はずであった。
銀行襲撃のその日、まんまとインディオ一味に加わったマンゴーであったが、
素早いインディオに見破られ計画は見送った。
舞台はメキシコ領のとある小さな村。
インディオの略奪品に手を出した二人は、インディオの手下どもに捕えられてしまった。
ところが、インディオはわざと二人を逃がし、手下どもを二人に殺させ、
略奪品の独り占めを計画する。
事はインディオのたくらみ通りに運ぶのだが・・・。

当初、モーティマー大佐の役は、リー・マーヴィンに予定されていた。
ところが、マーヴィンは『キャット・バルー』に出演が決まりオファーを辞退した。
困ったレオーネが白羽の矢を立てたのが、当時半ば俳優業から引退状態にあった
リー・ヴァン・クリーフだった。
彼のモーティマー役は大好評で、一躍スターにのし上がった。
実はレオーネはモーティマー役にヘンリー・フォンダを希望していたといわれる。
当時は、殆ど無名であったレオーネにとって、フォンダの起用は不可能であった。
ところが、後にフォンダはレオーネ監督作品である『ウエスタン』に出演、
レオーネの念願が数年越しに叶うことになる。(pigs flyだね)

当作品は、『荒野の用心棒』、『続・夕陽のガンマン』と併せて「ドル箱三部作」と
呼ばれることもある。本作品でレオーネは独自の演出スタイルを確立、
名実共にマカロニ・ウェスタンの巨匠と目されるようになった。

荒野の用心棒の英題は、『A Fistful of Dollars』(一握りのドル)、
夕陽のガンマンの英題は、『For A Few Dollars More』(もう少しのドルの為に)

イーストウッドは映画中では銃を撃つときしか右手を使わず、葉巻に火を付ける、ホテルで記帳するといった日常の所作殆ど全てを左手で行っている。

長々と読んでいただき、ありがとうございました。

次回は、続夕陽のガンマンを紹介させていただきます。
それでは、また会いましょう。


2017年8月3日木曜日

観る年代で映画が変わる (荒野の用心棒 英題:A Fistful of Dollars)

大阪は連日35度を超す猛暑日、とは言うものの、
クーラーの良く効いた部屋で、涼しい顔をして古いアルバムを見ていた妻が突然、
「あんた、今見ると、そうでもないな」
それを聞いた私は、「・・・・」
(大阪のおばちゃんかと言いかけて、言葉を呑んだ)
パソコンから、やしきたかじんさんの<やっぱ好きやねん>の歌が流れていた。

私たちにも、傷つくことも厭わずにがむしゃらに突っ走った青春があったんだ・・・。

しかしながら、妻の率直な感想、それは正しい。
当たり前ですが、人は年齢により感じ方や、好み、考え方などが変わります。

むかし観た映画を今観るとまったく違った感じがするなんて場合がありますよね。

そこで今回は、私が映画好きになったきっかけの映画を紹介したいと思います。

荒野の用心棒 

原題 : Per un Pugno di Dollari 英題:A Fistful of Dollars
製作年 : 1964年
製作国 : イタリア
監督セルジオ・レオーネ(ボブ・ロバートソン名義)/原作黒澤明/菊島隆三/脚本:セルジオ・レオーネ(ボブ・ロバートソン名義)/ドゥッチオ・テッサリ/ヴィクトル・A・カテナ/ハイメ・コマス/撮影:ジャック・ダルマース/音楽エンニオ・モリコーネ
出演:クリント・イーストウッド/ジャン・マリア・ヴォロンテ/マリアンネ・コッホ/ヨゼフ・エッガー/マルガリータ・ロサーノ
(あらすじ)
舞台は、1872年ニュー・メキシコのとある村。
その村は対立する二組の無法者グループに支配されていた。
ある日凄腕のガンマン、ジョー(C・イーストウッド)が現われ、とりあえず無法者ロホ兄弟の用心棒となる。それは一方の無法者モラレスの手下四人を殺ったからだ。
酒場の亭主から村の事情を聞きだしたジョーは、両者の対立を利用して無法者達を一掃しようと考えた。
ロホ兄弟の弟ラモンがマリソルという子持ち女を自分のものにしようと監禁しているのを知ったジョーは、見張りの手下を始末し、母子を逃がす。そして、これをモラレスの仕業にみせかけようとするが、見破られ捕らえられてしまった。
ラモンはジョーに、マリソルの行方を自白させようと激しく拷問した。その夜、半死半生のジョーは、スキを見てロホ家をぬけ出し、棺桶屋のオヤジの手引で安全な隠れ家に身を寄せた。棺桶屋のオヤジは、ロホ一家の手下共をだまして手に入れた拳銃をジョーに渡した。ジョーは左手が使えなくなり、右手で戦うしかない・・・。
ジョーの失踪に慌てたラモンたちはまず酒屋の亭主を捕えた。
そしてモラレス家に殴り込みをかけた。
不意を襲われたモラレスは簡単にやられてしまった。
ラモンは酒屋の亭主を通りの真中に吊るし、ジョーをおびきよせようとしていた。
静寂の村に単身で姿を現したジョーやいかに・・・。

イタリアで公開された黒澤明の『用心棒』を見て感銘を受けたセルジオ・レオーネが、日本の時代劇『用心棒』を西部劇に作り変えようとしたのが始まりである。レオーネは同僚の撮影監督や脚本家たちを誘って再度『用心棒』を鑑賞、脚本執筆の参考にするために映画の台詞をそのまま書き写したと言われている。

マカロニ・ウェスタンの名作。映画自体はスペインのアルメリア地方で撮影された。1967年にアメリカで公開されて大ヒット、以降のマカロニ・ウェスタンブームの火付け役となった。クリント・イーストウッド演じる主人公のアンチヒーロー的な魅力、本場アメリカの西部劇ではあまり見られなかった生々しい暴力描写と並んでエンニオ・モリコーネが担当した楽曲も高く評価されている。三池崇史監督が2007年に制作した『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』は、「続荒野の用心棒」のオマージュです。

私がこの映画を始めて観たのは10代の頃、イーストウッドは小父さんに見えました。
30代の頃は、同年配に、そして今は、彼が年下です。観る年代で映画が変わる。
今から50年以上も前の作品とはとても信じがたい凄い映画です。
時間が許せるならば、ぜひ観て欲しい作品です。

次回は続編、夕日のガンマンを紹介します。

又会いましょう。