2017年8月14日月曜日

観る年代で映画が変わる Part 4 (用心棒)

8月15日は終戦記念日です。
政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として全国戦没者追悼式を主催しています。
ただし、第二次世界大戦が終結したとされる日については諸説があります。
 1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
 1945年8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
 1945年9月  2日:日本政府が、ポツダム宣言の降伏文書(休戦協定)に調印した日
 1952年4月28日:サンフランシスコ平和条約の発効

(終戦までの歴史的経過)
 1945年7月26日、米英中はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求
 1945年8月  6日広島市に原子爆弾が投下
 1945年8月  8日ソ連対日宣戦布告
 1945年8月  9日長崎市に原子爆弾が投下
 1945年8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告
 1945年8月14日、御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定
 1945年8月15日正午、玉音放送で国民及び陸海軍に降伏の決定が伝えられた。
 1945年8月16日、大本営は陸海軍に対して戦闘行動を停するなどの命令を下し、
         8月下旬でほぼ全ての戦闘行為が終結した。
 1945年9月 2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の
         重光葵外務大臣と大本営(陸海軍)全権の梅津美治郎参謀総長が、
         降伏文書に調印し、即日発効した。
 1951年9月  8日、サンフランシスコ平和条約が調印された。
   1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効で、国際法上、正式に日本と
         連合国との間の「戦争状態」は終結した。

連合国の中華民国(台湾)とソビエト連邦(ロシア)、連合国ではない中華人民共和国
対日戦勝記念日は、9月3日である。
2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれているが、
9月2日の翌日を独自の対日戦勝記念日と制定し、全国人民代表者会議で
「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日」と決定したのは2014年のことだ。2015年には軍事パレードを含む盛大な戦勝記念日行事を行ない、既成事実化を図っている。

8月15日はお盆でもあります。
「お盆」は、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略された名前で、
「盂蘭盆」は梵語のウランバナ(ullambana)に由来し、
「倒懸=逆さに吊るされる」という意味だそうです。

仏様のお弟子である目蓮聖人は、修行の末に法力を授かりました。
ある日、目連聖人はその法力を使って亡き母に逢いに行きました。
ところが、亡き母は餓鬼道に堕ちて倒懸の苦しみにあっているではありませんか。
大変悲しんだ目連聖人は、仏様にこのことを相談しました。
そして目連聖人は仏様の教えに従い、7月15日に沢山の僧侶達を供養することで、
七世の父祖とともに母の霊が救われました。
この話は、『仏説盂蘭盆経』に基づいています。

『日本書紀』によれば、盂蘭盆会は斉明天皇のころに始まったとされますが、
平安中期には貴族社会で年中行事となっていたそうです。
今のお盆とはだいぶ様子が違うと考えられますが、ご先祖様を供養するという、
日本人の魂は、通じ合える気がします。

妻が、TSUTAYAで借りたDVD「君の名は」を観ながらスヤスヤと眠っています。
きれいな画像と、心地よい音楽、それと多少理解しがたいストーリーに、睡眠効果が
あった様です。と、突然目を覚まし、私、この映画、理解でけへんわ・・・
私「☹」

それでは、映画「用心棒」を紹介しましょう。

用心棒
製作年 : 1961年 
製作国 : 日本 
配給 : 東宝 

監督黒澤明/脚本黒澤明/菊島隆三/撮影:宮川一夫/美術:村木与四郎/音楽:佐藤勝

出演三船敏郎(桑畑三十郎)/仲代達矢(新田の卯之助)/司葉子(女房ぬい)/山田五十鈴(清兵衛の女房おりん)/加東大介(新田の亥之吉)/河津清三郎(馬目の清兵衛)/志村喬(造酒屋徳右衛門)/太刀川寛/夏木陽介/東野英治郎(居酒屋の親爺)/藤原釜足/沢村いき雄 (番屋の半助)/渡辺篤 (棺桶屋)/西村晃/ジェリー藤尾

(あらすじ)
からっ風の馬目の宿。
そこに得体のしれない浪人がふらりとやって来た。
この宿場は二人の親分が対立し、繁盛しているのは棺桶屋ぐらいだ。
浪人はたまたま入った居酒屋の親爺からそう聞かされた。
二人の親分とは、馬目の清兵衛と、丑寅(うしとら)。
馬目の清兵衛には名主の多左衛門が肩入れし、もう一方丑寅には造酒屋の徳右衛門が
肩入れしていた。互いに用心棒、兇状特をかき集めてにらみ合っていた。
浪人はまず清兵衛のところに行き、俺を用心棒に買わんかと持ち掛ける。
まあ見ておれと、浪人は丑寅の子分を五,六人、アッという間に切り捨てた。
五十両で話を決め、前金の二十五両を浪人に渡した清兵衛は、翌日丑寅に殴り込みを
掛けることにした。
廓を営む業突張りの女房のおりんは、出入りが済んだら浪人を殺してしまいなよと、
清兵衛をけしかける。それを盗み聞きしていた浪人・・・。
殴り込みの段取りを打ち合わせていたその場で、浪人は名前をたずねられる。
浪人はふと外を見ると桑畑が広がっていた。とっさに桑畑三十郎と答える。
ところがその翌日、しかも殴り込み直前で、三十郎は清兵衛に用心棒を断った。
三十郎はそのまま居酒屋の親爺の店に居座り、用心棒代の値を吊り上げる腹だ。
そんなところへ丑寅の弟、卯之助が帰って来た。
短銃の使い手で、一筋縄ではいかない相手だ。このとき三十郎は丑寅の用心棒だった。

造り酒屋の徳右衛門は、百姓小平の女房ぬいを妾にしていた。
博奕の借金のかたに取りあげたのだった。
ぬいの幼い息子の金助が母を慕う情に絆された三十郎は、親子三人を逃がしてやった。
ところが、ぬいが三十郎に出した感謝の手紙を卯之助が見つける。
三十郎は捕えられて土蔵に放りこまれ地獄の拷問を受ける。
殺されないのは、三十郎がぬいの居場所を知っているからだった。
かろうじてそこを抜けだした三十郎だったが・・・。

この作品は、私のとても好きな映画の一つです。桑畑三十郎の後ろ姿で始まり、後ろ姿で
終わる。そして音楽が、時代劇では考えられないほど独創的で滑稽なんです。
セリフや演技では表現できない部分の、微妙な表情のアップ。手首を銜えた犬が画面を
横切る短いカットなどなど。もちろん捻りの効いたストーリーもおもしろいですが、
三船敏郎さんの骨太の演技は最高でしょう。今は亡き大スターもたくさん出ています。


ハードボイルド作家、ダシール・ハメットの(1929年)『血の収穫』を翻案し、西部劇の要素を取り込んだ、当時としてはとてもユニーク時代劇です。

巨匠セルジオ・レオーネ監督が『荒野の用心棒』として盗作(オマージュ?)、や
『ラストマン・スタンディング』としてリメイク。
ケヴィン・コスナー主演の『ボディガード』では、映画そのものを引用している。

まだ観ていない人、ぜひ観てください。お薦めです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、「用心棒」の続編(厳密には・・・?)の「椿三十郎」を紹介します。