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2018年8月31日金曜日

観る年代で映画が変わる Part 33 (クリッシュ 原題 : KRRISH 3 )

国破れ
防空壕に
茄子の花

8月が来るたびに、亡き父のこの一句が思い出されます。

今年で73回目の終戦記念日を迎えます。

私たちの社会はこの73年の間にどう変わり、どこへ向かおうとしているのでしょうか。

そこに大きな影響を与えていくのが、マスコミ報道であり、多くの言論人たちです。

今回は、『新潮45』2018年8月号、杉田水脈議員
『「LGBT」支援の度が過ぎる』を取り上げてみたいと思います。

杉田議員はこの論文で、マスコミ報道一部の右派の言論人左派の活動家や言論人
そしてネット上での書き込みなどで、袋叩きにあっています。
又、脅迫も受けたそうです。

そこで、それの何が問題なのか、私なりに調べてみようと思いました。
全文を載せますが、かなり長い文章なので、要点箇所をマーキングしましたので、
そこだけ読んでいただいても内容は理解できると思います。

本文
この1年間で「LGBT」L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件読売新聞が159件毎日新聞が300件産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか
彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 LGBとTを一緒にするな

 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。
『新潮45』2018年8月号、杉田水脈議員の『「LGBT」支援の度が過ぎる』

私の感想は、まったく問題のない文章だと思います。

どこが問題なのでしょうか?

問題とされている箇所は、

LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。

の部分です。特に「生産性」という言葉に非難が集中しています。

おそらく、「生産性」の文字を(せいさんせい)と読んでいるからだと思います。
この文章では、(しょうさんせい)と読むのが正しいのではないでしょうか。

「生産」は元々、(しょうさん)と読み、「出産」と同じ意味です。
それを、(せいさん)とも読むようになったのは、19世紀の産業革命以降です。
それまでは、そのような概念自体がありませんでした。

「生産性」(しょうさんせい)は、出産との関連性と解せるのではないでしょうか。

They never produce a baby. の英文を訳すと、”彼らは赤ちゃんを決して生まない。”
それを、“彼らは決して赤ちゃんを生産(せいさん)しない。” と訳すでしょうか。
多分、笑われます。

英語も、Produceは、give birth の意味があります。

問題なのは、自分の考えと違う考えを持つ人を絶対に許さないという人たちです。
多様性を掲げながら、実は、民主主義を理解していない人たちです。
そのような人たちが、世論を巻き込み、正論を封殺しようとすることです。

私たちは自分の頭で考え、決してそのような人たちに利用されないようにしましょう。



「だれや! こんなとこに、靴下脱ぎ捨ててるのは!!」

「知らんがな、俺ちゃうで」

「あんたしか、居てへんやろ・・・!」
「もう~、信じられへんわ」

「こない暑いと、靴下脱いだのも忘れてまうわ~」
「嗅いでみー」

「いややわ臭い、あんた、あほか」
「そういえば、来月、総裁選やけど安倍さんに決まりやな」
「そやけど、モリカケいつまでやるんやろ? あんたどう思う?」

「決まってるがな、『モリトモ3年 カケ8年』 言うやろ」

それでは、インド映画「クリッシュ」を紹介します。

クリッシュ

原題 : KRRISH 3
製作 : 2013年
製作国 : インド(ヒンディー語)



監督:ラーケーシュ・ローシャン/
脚本:ラーケーシュ・ローシャン/ 、 ロビン・バット/ 、 ハニー・イラニ/ 、 イルファン・カマル/原作:ラーケーシュ・ローシャン

出演:リティク・ローシャン(クリッシュ、クリシュナ)(父ロヒート)/ブリヤンカー・チョーブラー(妻ブリヤー)/カングナー・ラーナーウト(カメレオン女カヤ)/ヴィヴェーク・オベロイ(悪魔のような天才科学者カール)

(あらすじ)
冒頭、父ローヒトの過去、そして息子クリシュナの誕生についてナレーションが流れる。
舞台はインド、ムンバイ。
クリシュナは妻プリヤー、そして父ローヒトと共に幸せに暮らしていました。

妻プリヤーはジャーナリスト、父ローヒトは政府の研究所に勤務、
だけど、クリシュナは事件の度にスーパーヒーロークリッシュに変身し姿を消すので、
勤め先はいつもクビになり、職を転々としていました。

ある日、父ローヒトは太陽エネルギーから生命の源を発生させる装置を発明しました。
クリシュナとブリヤーの前で実験するのですが、エネルギーのコントロールが出来ずに
失敗に終わりました。
そこで頭脳の持ったフィルターの必要性を知るのです。

場面が変わり、下半身が麻痺し動かせるのはたった二本の指だけ、
だが念力で何でも動かせる天才科学者カールのアジト。
そこでは、人間と動物が合体したミュータントが造られていたのです。
長い舌を持った男や、誰にでも姿を変えられる女など。
カールがミュータントを造る本当の理由は、自分の体の秘密を知り、
五体満足の体に戻す。そして人類の征服だったのです。

製薬会社を持っているカールは、彼の染色体で造った人口ウイルスを南アフリカで
撒き散らしパニックに陥れました。
同時に造ったワクチンで大儲けをする為だったのです。

今度は、その恐ろしいウィルスがインドに持ち込まれた。
ムンバイの街に不気味な人間が出没し始めます。

ローヒトは南アフリカ疫病研究所からワクチンの開発を依頼されます。
ローヒトは、送られてきたワクチンの分析で恐ろしい事実を知ることとなります。
そのワクチンが人工的に造られた物、そしてその染色体が、自分やクリシュナと
同じものだということを・・・。

誰にでも変身できるカメレオン女カヤはプリヤーを拉致しカールの元に送り、
自分がプリヤーになりすまします。
さらに、シンガポールへの調査で、真実を知ったローヒトもカールに捕らえられて
しまいました・・・。

本作は、続編3作目です。
続編なので、冒頭で主人公クリシュナと父ローヒトの出生と過去が語られますが、
本作だけ観ても全然問題ありません。最高に面白いです。

ボリウッドのSF映画といえば、シャンカール監督、ラジニカーント主演の、
2010年「ロボット」が強烈な印象で残っていますが、
本作はまったくそれに引けを取っていません。

ストーリーが、何処と無く「未知との遭遇」「スーパーマン」「X-MEN」などと
オーバーラップしますが、内容的には、正真正銘のオリジナル作品です。

特に、FSX、VFXの最先端技術を駆使した迫力あるシーンは圧巻です。

惚れ惚れする男前リティク・ローシャン、愛らしいブリヤンカー・チョーブラーも
魅力的ですが、悪魔の天才科学者役ヴィヴェーク・オベロイと、
カメレオン女カヤ役カングナー・ラーナーウトの存在感ある演技は、必見です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は、「スラムドッグ$リオネア」を、紹介します。

2017年8月14日月曜日

観る年代で映画が変わる Part 4 (用心棒)

8月15日は終戦記念日です。
政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として全国戦没者追悼式を主催しています。
ただし、第二次世界大戦が終結したとされる日については諸説があります。
 1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
 1945年8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
 1945年9月  2日:日本政府が、ポツダム宣言の降伏文書(休戦協定)に調印した日
 1952年4月28日:サンフランシスコ平和条約の発効

(終戦までの歴史的経過)
 1945年7月26日、米英中はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求
 1945年8月  6日広島市に原子爆弾が投下
 1945年8月  8日ソ連対日宣戦布告
 1945年8月  9日長崎市に原子爆弾が投下
 1945年8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告
 1945年8月14日、御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定
 1945年8月15日正午、玉音放送で国民及び陸海軍に降伏の決定が伝えられた。
 1945年8月16日、大本営は陸海軍に対して戦闘行動を停するなどの命令を下し、
         8月下旬でほぼ全ての戦闘行為が終結した。
 1945年9月 2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の
         重光葵外務大臣と大本営(陸海軍)全権の梅津美治郎参謀総長が、
         降伏文書に調印し、即日発効した。
 1951年9月  8日、サンフランシスコ平和条約が調印された。
   1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効で、国際法上、正式に日本と
         連合国との間の「戦争状態」は終結した。

連合国の中華民国(台湾)とソビエト連邦(ロシア)、連合国ではない中華人民共和国
対日戦勝記念日は、9月3日である。
2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれているが、
9月2日の翌日を独自の対日戦勝記念日と制定し、全国人民代表者会議で
「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日」と決定したのは2014年のことだ。2015年には軍事パレードを含む盛大な戦勝記念日行事を行ない、既成事実化を図っている。

8月15日はお盆でもあります。
「お盆」は、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略された名前で、
「盂蘭盆」は梵語のウランバナ(ullambana)に由来し、
「倒懸=逆さに吊るされる」という意味だそうです。

仏様のお弟子である目蓮聖人は、修行の末に法力を授かりました。
ある日、目連聖人はその法力を使って亡き母に逢いに行きました。
ところが、亡き母は餓鬼道に堕ちて倒懸の苦しみにあっているではありませんか。
大変悲しんだ目連聖人は、仏様にこのことを相談しました。
そして目連聖人は仏様の教えに従い、7月15日に沢山の僧侶達を供養することで、
七世の父祖とともに母の霊が救われました。
この話は、『仏説盂蘭盆経』に基づいています。

『日本書紀』によれば、盂蘭盆会は斉明天皇のころに始まったとされますが、
平安中期には貴族社会で年中行事となっていたそうです。
今のお盆とはだいぶ様子が違うと考えられますが、ご先祖様を供養するという、
日本人の魂は、通じ合える気がします。

妻が、TSUTAYAで借りたDVD「君の名は」を観ながらスヤスヤと眠っています。
きれいな画像と、心地よい音楽、それと多少理解しがたいストーリーに、睡眠効果が
あった様です。と、突然目を覚まし、私、この映画、理解でけへんわ・・・
私「☹」

それでは、映画「用心棒」を紹介しましょう。

用心棒
製作年 : 1961年 
製作国 : 日本 
配給 : 東宝 

監督黒澤明/脚本黒澤明/菊島隆三/撮影:宮川一夫/美術:村木与四郎/音楽:佐藤勝

出演三船敏郎(桑畑三十郎)/仲代達矢(新田の卯之助)/司葉子(女房ぬい)/山田五十鈴(清兵衛の女房おりん)/加東大介(新田の亥之吉)/河津清三郎(馬目の清兵衛)/志村喬(造酒屋徳右衛門)/太刀川寛/夏木陽介/東野英治郎(居酒屋の親爺)/藤原釜足/沢村いき雄 (番屋の半助)/渡辺篤 (棺桶屋)/西村晃/ジェリー藤尾

(あらすじ)
からっ風の馬目の宿。
そこに得体のしれない浪人がふらりとやって来た。
この宿場は二人の親分が対立し、繁盛しているのは棺桶屋ぐらいだ。
浪人はたまたま入った居酒屋の親爺からそう聞かされた。
二人の親分とは、馬目の清兵衛と、丑寅(うしとら)。
馬目の清兵衛には名主の多左衛門が肩入れし、もう一方丑寅には造酒屋の徳右衛門が
肩入れしていた。互いに用心棒、兇状特をかき集めてにらみ合っていた。
浪人はまず清兵衛のところに行き、俺を用心棒に買わんかと持ち掛ける。
まあ見ておれと、浪人は丑寅の子分を五,六人、アッという間に切り捨てた。
五十両で話を決め、前金の二十五両を浪人に渡した清兵衛は、翌日丑寅に殴り込みを
掛けることにした。
廓を営む業突張りの女房のおりんは、出入りが済んだら浪人を殺してしまいなよと、
清兵衛をけしかける。それを盗み聞きしていた浪人・・・。
殴り込みの段取りを打ち合わせていたその場で、浪人は名前をたずねられる。
浪人はふと外を見ると桑畑が広がっていた。とっさに桑畑三十郎と答える。
ところがその翌日、しかも殴り込み直前で、三十郎は清兵衛に用心棒を断った。
三十郎はそのまま居酒屋の親爺の店に居座り、用心棒代の値を吊り上げる腹だ。
そんなところへ丑寅の弟、卯之助が帰って来た。
短銃の使い手で、一筋縄ではいかない相手だ。このとき三十郎は丑寅の用心棒だった。

造り酒屋の徳右衛門は、百姓小平の女房ぬいを妾にしていた。
博奕の借金のかたに取りあげたのだった。
ぬいの幼い息子の金助が母を慕う情に絆された三十郎は、親子三人を逃がしてやった。
ところが、ぬいが三十郎に出した感謝の手紙を卯之助が見つける。
三十郎は捕えられて土蔵に放りこまれ地獄の拷問を受ける。
殺されないのは、三十郎がぬいの居場所を知っているからだった。
かろうじてそこを抜けだした三十郎だったが・・・。

この作品は、私のとても好きな映画の一つです。桑畑三十郎の後ろ姿で始まり、後ろ姿で
終わる。そして音楽が、時代劇では考えられないほど独創的で滑稽なんです。
セリフや演技では表現できない部分の、微妙な表情のアップ。手首を銜えた犬が画面を
横切る短いカットなどなど。もちろん捻りの効いたストーリーもおもしろいですが、
三船敏郎さんの骨太の演技は最高でしょう。今は亡き大スターもたくさん出ています。


ハードボイルド作家、ダシール・ハメットの(1929年)『血の収穫』を翻案し、西部劇の要素を取り込んだ、当時としてはとてもユニーク時代劇です。

巨匠セルジオ・レオーネ監督が『荒野の用心棒』として盗作(オマージュ?)、や
『ラストマン・スタンディング』としてリメイク。
ケヴィン・コスナー主演の『ボディガード』では、映画そのものを引用している。

まだ観ていない人、ぜひ観てください。お薦めです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、「用心棒」の続編(厳密には・・・?)の「椿三十郎」を紹介します。