2017年10月7日
家の前のハナミズキに赤い小さな実がなり、
一雨ごとに気温が下がります。
もう秋ですネ。
テレビからは、選挙がらみのニュースが流れてきますが、
相変わらず政局絡みの内容ばかりで、うんざりさせられています。
私「今回の、森友・加計学園問題で始まった一連の騒動は、椿に似とんな」
妻「椿 それ何やの?」
妻「都はるみの「 (^^♪ あんこ椿は恋の花」や、
小林幸子の「寒椿 (^^♪ 」の演歌やったら知っとるけど」
妻「椿は散らずに、首からポロンと落ちるので、縁起が悪い花らしいよ」
私「ちゃうちゃう、椿事件の事や」
妻「なに! それ」
私「今回のことは、それとよう似とんね」
椿事件
1993年6月18日 嘘つき解散 (テレビ朝日『ニュースステーション』で久米宏が使っていた)
1993年5月31日に宮澤喜一首相が、田原総一朗のインタビューで、
衆議院の選挙制度改革を「やります。やるんです」公約したが、
自民党内の意見をまとめきれずに次の国会へ先送りにした。
野党が反発、通常国会閉幕直前に日本社会党・公明党・民社党が共同で
内閣不信任決議案を提出した。
自民党は過半数を占めていたので否決されると思われていたが、
自民党内から造反者が続出したために可決されしまった。
1993年7月18日 第40回衆議院議員総選挙
与党自由民主党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。
1993年9月21日 日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会
椿報道局長は「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は
許せないと語り、選挙時の局の報道姿勢に関して次の内容を述べた。
「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。
今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の
連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
会合メンバーのひとりはこの際に梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長の
ツーショットを報道するだけで視聴者に悪代官の印象を与え、
自民党のイメージダウンになった。
「羽田外相=誠実、細川首相=ノーブル、武村官房長官=ムーミンパパのキャラクター」
(なので視聴者によい印象を与えられた)という趣旨を発言するのを聞いた、
としている。
1993年10月13日 [椿事件] 産経新聞が朝刊一面で椿発言を報道
郵政省放送行政局長の江川晃正は緊急記者会見で、放送法に違反する事実があれば
電波法第76条にもとづく無線局運用停止もありうることを示唆。
自民党・共産党は徹底追及の姿勢を明確
直後に椿貞良は取締役と報道局長を解任されている。(2015年12月10日死去)
1993年10月25日 衆議院が椿を証人喚問
椿は民放連会合での軽率な発言を陳謝したが、
社内への報道内容の具体的な指示については一貫して否定。
あくまで偏向報道は行なっていないとしている。
1994年8月29日 テレビ朝日は内部調査の結果を郵政省に報告
テレビ朝日は、特定の政党を支援する報道を行うための具体的な指示は
出していない旨を改めて強調した。
報告を受け郵政省はテレビ朝日に対する免許取消し等の措置は見送った。
郵政省は、「役職員の人事管理等を含む経営管理の面で問題があった」として
厳重注意する旨の行政指導を行うにとどめた。
最終報告書を受け、NHKと日本民間放送連盟は共同で放送倫理・番組向上機構
を設立した。
2003年11月9日
第43回衆議院議員総選挙に対して『ニュースステーション』は、「民主党の菅直人の政権構想を過度に好意的に報道した」として自民党の安倍晋三幹事長が抗議するとともに所属議員のテレビ朝日への出演一斉拒否を決めた。
2004年7月11日
第20回参議院議員通常選挙の際の選挙報道に対しても自民党がテレビ朝日に文書で
抗議した。
2005年小泉純一郎内閣による郵政民営化選挙では、報道各社が小泉改革支持の立場をとり、小泉自民党は大勝利した。この結果、新自由主義による格差社会が生まれた。
2009年総選挙では、報道各社が政権交代を連呼し民主党を大勝させた。
民主党政権には政権を運営する能力がなく、日本は混迷に陥った。
私は、森友・加計学園問題に端を発した一連の流れが、椿事件のリメイク版と、
思えてならないのです。
思い過ごしならいいのですが、閉会中審査の加戸守行・前愛媛県知事の発言が
一切報道されなかったのは事実です。
報道各社は、国民に知らせる義務があり、知る権利があるのは国民であることを、
肝に銘じてほしいと思います。
それでは、「七人の侍」のリメイク、「マグニフィセント セブン」を紹介します。
マグニフィセント・セブン
原題 : THE MAGNIFICENT SEVEN
製作年 : 2016年
製作国 : アメリカ
監督:アントワーン・フークア/原作:黒澤明/橋本忍/小国英雄『七人の侍』/
脚本:ニック・ピゾラット/リチャード・ウェンク/撮影:マウロ・フィオーレ/
音楽:ジェームズ・ホーナー/サイモン・フラングレン
出演:デンゼル・ワシントン(サム・チザム)/クリス・プラット(ジョシュ・ファラデー)/イーサン・ホーク(グッドナイト・ロビショー)/ヴィンセント・ドノフリオ(ジャック・ホーン)/
イ・ビョンホン(ビリー・ロックス)/マヌエル・ガルシア=ルルフォ(ヴァスケス)/マーティン・センスマイヤー(レッドハーベスト)/ヘイリー・ベネット(エマ・カレン)/
ピーター・サースガード(バーソロミュー・ボーグ)/ルーク・グライムス(テディQ)/マット・ボマー(マシュー・カレン)/ジョナサン・ジョス(デナリ)
(あらすじ)
南北戦争から15年ほど経った1879年、
舞台はアメリカ合衆国ミネソタ州の
ローズ・クリーク。
その町で金鉱が発見され、実業家バーソロミュー・ボーグは、金鉱を独占するために、住民を町から追い出そうとしていた。
ある日、
ボーグ一味は、教会に集まった住民に立ち退きを迫り、
抵抗する人たちを見せしめのために射殺し、
教会に火をつけた。
エマ・カレンの夫マシューもそこで射殺された。
エマは、亡き夫マシューの友人テディQと共に、助っ人探しの旅に出る。
或る町で二人は、賞金稼(委任執行官)サム・チザムが、
お尋ね者を射殺する場面に出くわす。
サムは、悪漢数名を目にもとまらぬ拳銃さばきで倒してしまう、凄腕だ。
テディQはサムに駆け寄り、ローズ・クリークの出来事を話し、助っ人を依頼した。
だが、サムの返事はNOだった。
今度はエマが、町の人から集めた全財産をサムに渡し、ボーグの名を出すと、
サムは、全財産を受け取るのは困る、と言いながら引き受けてくれた。
サムを中心に、南北戦争時の知り合、手配中の殺人犯、インデアンなど、
7名の強者が集結した。
7名の強者がローズ・クリークの町に乗り込み、たちどころにボーグの手下たちを、
片付けてしまった。
そして、買収された保安官を伝令に使い、ボーグに挑戦状を送り付けた。
方や、伝言を聞いたボーグは保安官を射殺し激怒した。
そして、ボーグは部下たちを引き連れ、ローズ・クリークへ・・・。
1960年『荒野の七人』のリメイクと言われていますが、
内容は、まぎれもなく1954年「七人の侍」のリメイク作品です。
『七人の侍』のオマージュと思われるプロットおよび、シーンが
随所に含まれています。
黒澤明監督が敬愛していた、ジョン・フォード監督の西部劇スタイルも、
しっかりと押さえた作品となっています。
娯楽性がたっぷりで、とても面白い作品です。
出来れば、『七人の侍』と続けて観ることをお勧めします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は、インドの映画、「命ある限り」を紹介します。
家の前のハナミズキに赤い小さな実がなり、
一雨ごとに気温が下がります。
もう秋ですネ。
テレビからは、選挙がらみのニュースが流れてきますが、
相変わらず政局絡みの内容ばかりで、うんざりさせられています。
私「今回の、森友・加計学園問題で始まった一連の騒動は、椿に似とんな」
妻「椿 それ何やの?」
妻「都はるみの「 (^^♪ あんこ椿は恋の花」や、
小林幸子の「寒椿 (^^♪ 」の演歌やったら知っとるけど」
妻「椿は散らずに、首からポロンと落ちるので、縁起が悪い花らしいよ」
私「ちゃうちゃう、椿事件の事や」
妻「なに! それ」
私「今回のことは、それとよう似とんね」
椿事件
1993年6月18日 嘘つき解散 (テレビ朝日『ニュースステーション』で久米宏が使っていた)
1993年5月31日に宮澤喜一首相が、田原総一朗のインタビューで、
衆議院の選挙制度改革を「やります。やるんです」公約したが、
自民党内の意見をまとめきれずに次の国会へ先送りにした。
野党が反発、通常国会閉幕直前に日本社会党・公明党・民社党が共同で
内閣不信任決議案を提出した。
自民党は過半数を占めていたので否決されると思われていたが、
自民党内から造反者が続出したために可決されしまった。
1993年7月18日 第40回衆議院議員総選挙
与党自由民主党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。
1993年9月21日 日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会
椿報道局長は「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は
許せないと語り、選挙時の局の報道姿勢に関して次の内容を述べた。
「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。
今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の
連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
会合メンバーのひとりはこの際に梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長の
ツーショットを報道するだけで視聴者に悪代官の印象を与え、
自民党のイメージダウンになった。
「羽田外相=誠実、細川首相=ノーブル、武村官房長官=ムーミンパパのキャラクター」
(なので視聴者によい印象を与えられた)という趣旨を発言するのを聞いた、
としている。
1993年10月13日 [椿事件] 産経新聞が朝刊一面で椿発言を報道
郵政省放送行政局長の江川晃正は緊急記者会見で、放送法に違反する事実があれば
電波法第76条にもとづく無線局運用停止もありうることを示唆。
自民党・共産党は徹底追及の姿勢を明確
直後に椿貞良は取締役と報道局長を解任されている。(2015年12月10日死去)
1993年10月25日 衆議院が椿を証人喚問
椿は民放連会合での軽率な発言を陳謝したが、
社内への報道内容の具体的な指示については一貫して否定。
あくまで偏向報道は行なっていないとしている。
1994年8月29日 テレビ朝日は内部調査の結果を郵政省に報告
テレビ朝日は、特定の政党を支援する報道を行うための具体的な指示は
出していない旨を改めて強調した。
報告を受け郵政省はテレビ朝日に対する免許取消し等の措置は見送った。
郵政省は、「役職員の人事管理等を含む経営管理の面で問題があった」として
厳重注意する旨の行政指導を行うにとどめた。
最終報告書を受け、NHKと日本民間放送連盟は共同で放送倫理・番組向上機構
を設立した。
2003年11月9日
第43回衆議院議員総選挙に対して『ニュースステーション』は、「民主党の菅直人の政権構想を過度に好意的に報道した」として自民党の安倍晋三幹事長が抗議するとともに所属議員のテレビ朝日への出演一斉拒否を決めた。
2004年7月11日
第20回参議院議員通常選挙の際の選挙報道に対しても自民党がテレビ朝日に文書で
抗議した。
2005年小泉純一郎内閣による郵政民営化選挙では、報道各社が小泉改革支持の立場をとり、小泉自民党は大勝利した。この結果、新自由主義による格差社会が生まれた。
2009年総選挙では、報道各社が政権交代を連呼し民主党を大勝させた。
民主党政権には政権を運営する能力がなく、日本は混迷に陥った。
私は、森友・加計学園問題に端を発した一連の流れが、椿事件のリメイク版と、
思えてならないのです。
思い過ごしならいいのですが、閉会中審査の加戸守行・前愛媛県知事の発言が
一切報道されなかったのは事実です。
報道各社は、国民に知らせる義務があり、知る権利があるのは国民であることを、
肝に銘じてほしいと思います。
それでは、「七人の侍」のリメイク、「マグニフィセント セブン」を紹介します。
マグニフィセント・セブン
原題 : THE MAGNIFICENT SEVEN
製作年 : 2016年
製作国 : アメリカ
監督:アントワーン・フークア/原作:黒澤明/橋本忍/小国英雄『七人の侍』/
脚本:ニック・ピゾラット/リチャード・ウェンク/撮影:マウロ・フィオーレ/
音楽:ジェームズ・ホーナー/サイモン・フラングレン
出演:デンゼル・ワシントン(サム・チザム)/クリス・プラット(ジョシュ・ファラデー)/イーサン・ホーク(グッドナイト・ロビショー)/ヴィンセント・ドノフリオ(ジャック・ホーン)/
イ・ビョンホン(ビリー・ロックス)/マヌエル・ガルシア=ルルフォ(ヴァスケス)/マーティン・センスマイヤー(レッドハーベスト)/ヘイリー・ベネット(エマ・カレン)/
ピーター・サースガード(バーソロミュー・ボーグ)/ルーク・グライムス(テディQ)/マット・ボマー(マシュー・カレン)/ジョナサン・ジョス(デナリ)
(あらすじ)
南北戦争から15年ほど経った1879年、
舞台はアメリカ合衆国ミネソタ州の
ローズ・クリーク。
その町で金鉱が発見され、実業家バーソロミュー・ボーグは、金鉱を独占するために、住民を町から追い出そうとしていた。
ある日、
ボーグ一味は、教会に集まった住民に立ち退きを迫り、
抵抗する人たちを見せしめのために射殺し、
教会に火をつけた。
エマ・カレンの夫マシューもそこで射殺された。
エマは、亡き夫マシューの友人テディQと共に、助っ人探しの旅に出る。
或る町で二人は、賞金稼(委任執行官)サム・チザムが、
お尋ね者を射殺する場面に出くわす。
サムは、悪漢数名を目にもとまらぬ拳銃さばきで倒してしまう、凄腕だ。
テディQはサムに駆け寄り、ローズ・クリークの出来事を話し、助っ人を依頼した。
だが、サムの返事はNOだった。
今度はエマが、町の人から集めた全財産をサムに渡し、ボーグの名を出すと、
サムは、全財産を受け取るのは困る、と言いながら引き受けてくれた。
サムを中心に、南北戦争時の知り合、手配中の殺人犯、インデアンなど、
7名の強者が集結した。
7名の強者がローズ・クリークの町に乗り込み、たちどころにボーグの手下たちを、
片付けてしまった。
そして、買収された保安官を伝令に使い、ボーグに挑戦状を送り付けた。
方や、伝言を聞いたボーグは保安官を射殺し激怒した。
そして、ボーグは部下たちを引き連れ、ローズ・クリークへ・・・。
1960年『荒野の七人』のリメイクと言われていますが、
内容は、まぎれもなく1954年「七人の侍」のリメイク作品です。
『七人の侍』のオマージュと思われるプロットおよび、シーンが
随所に含まれています。
黒澤明監督が敬愛していた、ジョン・フォード監督の西部劇スタイルも、
しっかりと押さえた作品となっています。
娯楽性がたっぷりで、とても面白い作品です。
出来れば、『七人の侍』と続けて観ることをお勧めします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は、インドの映画、「命ある限り」を紹介します。
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